タイトルの通り幼い日の私はとにかく可愛げに欠ける上に、
どうしようもないほどバカだった。
役に立たない雑学の知識だけは豊富だったが、
正直言ってバカだったのだろう。今も治っていないかも知れないが。
傍目から見ればバカだとしかいいようのない行為に及ぶ事なんか日常茶飯事。
と言うか私はモノを壊す才能に溢れていたらしく、
父にせがんで買ってもらったファミコンは3ヶ月持たずに壊れてガラクタ化したし、
タミヤの販売していたラジコンなんて電圧やアンペアの知識がまるでなかったので
アルカリ電池ではなく同規格の充電式ニカド電池を使用し、
あっという間に壊してしまった。
実際問題夏祭りで手に入れたミニ四駆が炎を上げて燃えてしまったのを覚えている。
アホなガキとはまさに私の事だろう。
振り返ってみるに、私は何よりも誰よりも「何かを無惨に壊す事」に熱中し、
熱狂的にモノを壊して・虫や下等生物を害してそれを喜んでいたのだろう。
ドミノ倒しの番組を当時の私は破壊のダイナミズムを感じて喜んで見ていた位だから、
それへの傾倒ぶりが伺えようというものだ。
よく酒鬼薔薇少年にならなかったモンである。
話をゲーム機に戻そう。
あれほどせがまれたファミコンがあっという間に壊れてガラクタと化して以降、
父は私にゲーム機を買い与える事はしなくなった。
よって次に我が家にゲーム機が現れるのは時間を大幅に隔てて、
プレイステーションことPS1が発売されて暫く経ってからであった。
デュアルショックが標準で搭載されていたので、恐らく後期モデルだろう。
近所のダイエーこと今のイオンで貰ったお年玉を握りしめて買った記憶が片隅にある。
これの攻略に難儀した私は攻略本という書物を初めて買い、
それに縋ってゲームをクリアした。
ソニータイマーなる単語がネット界隈には存在するようだが、
プレイステーションは脆弱さとは無縁の極めて頑丈なゲーム機であった。
モノの乱暴な扱いをさせたら天下一の私が使っていても壊れはしなかったのだから、
さぞかし頑強な構造をしていたのであろう。
この頃からだろうか?プロアクションリプレイなるチートツールを使い始めたのは。
(明日に続く・・・かも?)