人間は、社会は移り変わっていく。
それがまるで正義であり、正しい事であるかのように。
変わらないでいたい、と思う私が悪いのだろうか?
とある男性の話をしよう。
彼は結婚して妻子を得、守るべき家庭を持つまでの間、
私に様々な新しい価値観を教えてくれた。
しかし彼は守るべき家庭、家族を得て明らかに変わった。
彼がしきりに口にするのはカネ・カネ・カネ。
確かに生きていく上で、お金を稼ぐ手段は必要だ。
しかしカネを稼ぐのは生きていく上で必要な「手段」であって目的ではない。
金策の自己目的化なんぞ、私は望んではいないのだ。
私には彼が悪しき前例主義に囚われ、
泥中に埋まり込んで自由に身動きが取れなくなっているのではないか?と
思えてならないのである。
故に私は彼に敢えて厳しい言動を取って
彼自身の手で私と距離を置かせるように仕向け、
彼の意見を傾聴せず受け流す事に決めた。
斯くして私は真なる意味での友人と、
形式的な友人(つまり顔見知り程度の仲)との峻別に成功した。
真なる意味での友人ー理解者ーとそうでない者の峻別は必要だと思う。