相手に敬意を持って接する。
相手を否定せずに相手の選択を受け容れる。
新しい職場にて働き始めてから数週間が経過しましたが、
上長がこの2点がまるで出来ていない人(コドモ大人)なので、
厄介な人だなぁと感じています。
男らしいといえばそうなんですけど、
いやもうそれ時代遅れですから常識を時代に合わせてアップデートしましょうよ。
と口をついて言いたくなりかける程、日々彼に否定されまくっています。
口が悪いのは何とか受け容れられますが、
マウント取りたがり癖の付いた人間というのはかくもややこしいものか、
と我が親父様と重ねて苦手に思ってしまいますね。
親父様と年齢が近いせいもあって、
他人を否定してマウントを取らないと気が済まない性格の人間、
というものへの対処の仕方というのは多少心得ています。
こういった人間は、何と言うかコドモじみているんです。
とにかく他人の選択を否定してマウントを取らないと気が済まないんですよ。
男性絶対上位の思考、マッチョ精神の持ち主なのが嫌でも分かります。
俺が正しいのだから従え、文句を言うな!従え!分かったか!?
というのがこういった手合いの人間の言いたい事の本質であり、
イチイチ本気で相手をしていたら身体と精神が何個あっても足りません。
なので相手の意見を聞いて自分の行動の参考にする事はあっても、
受け容れる事はあまりしていません。
この手の人間は「未熟な新人に仕事のイロハのイから教えている俺SUGEEE!」
という立場に酔っているだけで、実態はたいしたこっちゃないんです(実際彼に役職はなく、経験年数が長いだけのヒラ社員ですし)。
話半分程度に聞いて今後の参考にする程度に留めています。
取捨選択が必要になるのは、人間関係も同じ事。
相手に敬意を持って接する事が出来なくなった時点で、
人間関係は瓦解するか、瓦解に向かわざるを得なくなります。
例えそれが親子関係であっても同じ事なんですよ。
確かに親が無ければ子供は生まれませんし、
子供は親の形質を受け継ぎますが、子供と親は別の人間なのだ。
だから自己決定権を奪ってはいけませんし、
子供から選択の自由を奪ってはいけないんです。
「もし過ちを犯す自由がないのなら、自由を持つ価値はない」
というように、大人がやるべき事は、
子供の選択を受け容れた上で否定せず、代わりにベターな選択肢を示す事に尽きます。
「ほら言わんこっちゃない」と否定してマウントを取れば、
子供の勇気はくじかれる。そして自分で選択する事をやめていき、
模範回答しか言わないロボットみたいな人間が出来上がるだけ。
それじゃあ有為転変を繰り返す現実に敢然と立ち向かい、
適切な解を示していける強く逞しい人間が出来る訳がないんです。
そんな大人や上長は表面的に敬意を表しながら、
話半分に聞かれて他山の石にされるだけ。
取捨選択される側に立った時に、彼等がどんな顔をするか今から楽しみです。